株式会社河出書房新社(東京都新宿区/代表取締役 小野寺優)は、1965年にイギリスで生まれ、現在レバノンのベイルート・アメリカン大学で教鞭を執る哲学者、レイ・ブラシエによる『解き放たれた無』(仲山ひふみ監訳、小林卓也/島田貴史訳)を、2026年3月27日に刊行いたします。 自然科学と情報がすべてだという今、哲学を「無化する」ぎりぎりまで追い詰めていくのだから、この本は難しい。 その難しさが、面白い。 ――千葉雅也 (作家/哲学者) 『解き放たれた無』とレイ・ブラシエ ニヒリズムとは真理の否定ではなく、むしろ否定の真理であり、そして否定の真理は変形をもたらすものだ (P17「仏訳版序文」より) 2000年代後半に突如として現れ、インターネット上で急速に認知を拡げた哲学のムーヴメント――思弁的実在論。本書の著者レイ・ブラシエは、カンタン・メイヤスー(『有限性の後で――偶然性の必然性についての試論』)、グレアム・ハーマン(『四方対象――オブジェクト指向存在論入門』)、イアン・ハミルトン・グラント(『シェリング以後の自然哲学』)とともに、このムーブメントの中心人物のひとりとして知られ、「思弁的実在論」という言葉の命名者とされています。 ブラシエは、新自由主義化が進む1980年代のサッチャー政権下イギリスで高校生活を送り、その後は進学をせず、約10年間、肉体労働に従事しながら哲学書を読み漁っていたという、世界的に名を馳せる哲学者としては特異な経歴の持ち主。30代半ばを過ぎた2001年にウォーリック大学哲学科で博士号を取得後、ミドルセックス大学で研究者を務めるかたわら執筆し、2007年に刊行された『Nihil Unbound : Enlightenment and Extinction』(本書原書)は、現在におけるブラシエ唯一の著作です。 『解き放たれた無』は、ニーチェに端を発するニヒリズムの哲学を鮮やに更新する、思弁的実在論が生んだ最大の成果の一つであるとともに、その硬質な批判的論証、深遠な哲学的ヴィジョンは、刊行から20年経とうとする今もなお、世界中の読者を知的に強く惹きつけ続けています。 世界的なコロナ禍を経て、AIの不気味なまでの発展や、先の見えない気候変動、排外主義言説のとめどない氾濫、そして、世界各地で勃発している超大国の主導する戦争、ジェノサイド――。 著者自身が、2022年のインタビューで「『解き放たれた無』は絶望についての本だ」と語り、絶望的な真理との間に独自の肯定的な関係を築きながら、勇敢にも肉迫する本書を読む意義は、さまざまな破局の予感に満ちた現代においてますます高まっています。 2010年代の実在論、唯物論の諸潮流の始まりを告げながら、その終わりをも描き出した比類のない哲学書。ドゥルーズ、バディウ、アドルノ、メイヤスー、ラリュエル、セラーズら新旧思想をパラノミックに横断し、カタストロフィックに破壊する空前の問題作が、ついに日本上陸です。 […] というのも、何ものも(ナッシング)重要ではないのであれば、何ものも重要ではないと言うことさえもが重要ではないことになるからだ。 またひとが、とにかく何らかのもの(エニシング)が重要であるのかそれともそうでないのかを重要なことではないと考えるならば、そのとき何ものも(ナッシング)重要ではないと信じることと何かあるもの(サムシング)が重要であると信じることのあいだには、いかなるリアルな差異も存在していないことになる。すべて(エヴリシング)がいつも通りに続くことができてしまう。それゆえ、現代の知的生活のかくも際立った特徴をなす、シニシズムと信じやすさのあいだでの奇妙な揺れ動きが存在するのである。 あらゆることを疑ってかかる人々は、まったくどんなことでも信じてしまいがちだ。ニヒリズムの「不気味さ」、ニーチェにとって当然の帰結であったその「不気味さ」は、ニヒリズムが問いに付す真理への意志がひとたび重要であることをやめると、飼い馴らされる。 このことこそがポストモダニストたちに、ニーチェによる真理の廃位を、その破局的だと言われている帰結にまさに肩をすくめてみせながら褒め称える、ということを許しているのである。 (P16「仏訳版序文」より) 『解き放たれた無』の翻訳と装画 本書の監訳者、仲山ひふみは、2025年末に刊行された『ポピュラー文化がラディカルな思想と出会うとき──マーク・フィッシャーとイギリス現代思想入門』 (ele-king books) の監修を手掛けました。マーク・フィッシャーはブラシエの学生時代からの友人であり、社会問題からポップカルチャーまでを広く概観し、鋭く描き出した批評家。その思想を多彩な執筆陣とともに浮き彫りにした一冊として好評を博しています。 本書装画は、ディ