初夏を感じるさわやかな風が吹き始める5月。 これまでの人生で接点のなかった場所、熊本県天草市牛深に移住しました。 ”いつか地方に恩返しがしたい”。その想いが強くなり、東京の会社を辞め、たまたま巡りあったこの地で、暮らし、働くことになりました。今回は、移住の経緯と、今後についてつづります。 大阪府出身26歳です 島根県の離島にある高校に通うことにした ”地方”にはじめて住んだのは、15歳。 島根県海士町という、本土から約3時間ほどフェリーに揺られ到着する”離島”の高校に通うことになったときでした。 離島の高校を選んだ理由は、教科書には載っていないことを学びたいと思ったから。魚をさばけるようになりたい、コミュニケーションをもっと上手くできるようになりたいとか。 離島での高校生活は、地元では経験できなかった、人との出会いと、鏡のように輝く海が見える景色、そして私の世界が広がる学びであふれていました。 鏡のような海士町の海 家族でも、学校の同級生でも、塾の先生でもない。 学校という世界だけではない、「地域の人」と会話をする機会があり、多くの人とお話できる環境が、私にとって今までにない経験でした。 畑をお手伝いし、海で遊び、魚を捌き、地域の人と食卓を囲む。教科書には載っていない大切なことを、地域の人からたくさん教えていただきました。間違いなく私の人生のターニングポイントでした。 お別れの日。紙テープでお見送り。 大学を休学し、もう一度、島根県隠岐郡海士町に移住した 高校卒業後は、島を出て大学に通いました。大学生活は、時間の自由とまちの便利さがうれしい反面、地域の人との関わりはなく、学校とバイトの人間関係しかないことに、何ともいえない寂しさがありました。 そこに乗っかるように、コロナウイルスが流行。世界中が大混乱の中、人とのつながりがない苦しさ、そして大学生という自由で大事な時間に何の経験も積めていない焦りがありました。 そんな中、海士町で1年間暮らし働く、”大人の島留学”という制度が始まることを知り、大学を休学して、もう一度海士町で暮らすことを選びました。大人の島留学生としての活動もまた、私の人生の転機でした。 大人の島留学生の仲間たち 私のミッションは、海士町役場に所属し、海士町公式noteで島について発信すること。島のイベントや、大人の島留学制度の発信、そして島で暮らす人々へインタビューすることもありました。 高校生のとき以上に、地域にどっぷりつかる日々。快く取材を引き受けてくださり、イベント時に声をかけてくださり、つながりを感じるとともに、私生活でも、ご近所さんからおすそ分けをいただいたり、夕食によんでいただいたり、地域の人のあたたかさを数え切れないほどいただきました。 おすそ分けをいただきました。本当に感謝です。 そしてなにより、この制度で出会う同世代の仲間たちとの生活は、新鮮でした。一緒に暮らし、働き、色々な場所に行き、ときには人生の夢や目標を語り。仲間と海士町の生活をともにしたことはかけがえのない時間でした。 やっぱり地方に住みたい 高校3年間、そして大学生の1年半の間、海士町で過ごしたことから、”地方という場所に恩返しをしたい”、”だれかの地元である地方を少しでも長く残していきたい”という想いがふつふつと芽生えてきました。 そこで、地方の企業・人に選択肢を増やすことを目指して、東京にある人材紹介会社に就職。やりがいと難しさ、どちらも感じる日々を過ごす中、だんだんと私自身が地方、そして地域にどっぷりつかって働きたいという思いが強くなりました。 仕事の帰りに、時々見に行っていた東京タワー そんなタイミングで、会社の先輩から、大人の島留学のことを聞きました。 「今度、妹が大人の島留学をすることになったんだよね。」 純粋にいいなと思いました。自分ももう一度したいくらい。 それと同時に、もっともっと同世代に、大人の島留学のような制度が広がったらいいな、と思いました。 大人の島留学を通して得た経験を、ほかの同世代の人にも感じてほしい。私自身、環境を変えてみて変われたことがたくさんあったからこそ、今なにかに悩んでいる人たちに環境を変えるという意味でも、地方で暮らし働くという、この制度を広めたい。 大袈裟かもしれませんが、海士町で暮らした思い出があるからこそ、これからどんなに大変なことがあっても、海士町での出会いと出来事を思い出したら、この先もずっと頑張れるような気がしています。そんな場所が一人ひとりにあるといいなと思いました。 これからの目標は、地域に恩返しをすること。 ある日、「海士町のように、他の地域で”大人の地域留学”をするので運営スタッフをしないか。」と、海士町で関わっていた方からの誘いがありました。 いくつか地域がある中で、”